記者の眼記者の眼

第114回 (2021年3月10日)

「潔癖さといふものは、欲望の命ずる一種のわがままだ。」

 三島由紀夫の残した言葉である。この場合の潔癖は、高邁な精神性や理想主義的な思想を指しているようだ。初めにこの言葉と出会ったときは潔癖への単なる批判だと思ったが、どうにも含蓄のある言葉なのだと後で知ることとなった。

 大学時代に所属していたゼミで「理性や倫理といった人間が獲得した英知は、欲望の発露に過ぎない」と主張する思想家の書物を読んだ。人間は科学を「進歩」させ、野蛮さを克服するために「理性」を貴んだが、結局のところそれらは己の生存欲を満たすためのもっともらしい言い訳にすぎないのだ―と教授は解説してくれた。そして潔癖は理性の副産物であることも同時に学んだ。これを先ほどの言葉と照らし合わせると、批判は批判でも、もっと根本を問いているように感じられる。

 記者は取材先の言葉を聞き、自分の言葉で紡ぎなおす仕事だと私は思っている。しかし先の三島の言葉のように、言葉とは聞き手や話し手次第でそこに込められた意味は簡単に変容してしまうため、取材相手の意図を汲み取る作業には細心の注意を払う必要がある。だからこそ記事の執筆は思い込みを極力排して、多角的に内容を精査しなければいけない。言葉を生業する大変さはあるが、それ以上にこの言葉の繊細さを面白いと感じた。まだまだ至らぬ私ではあるものの、言葉の繊細さを慈しみながらこれからも執筆活動を続けていきたい。

 

(朝比奈)

 

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